東大合格までの軌跡

 どうも!皆さん、お元気ですか?優です。今回は僕の東大合格までの軌跡について書きたいと思いますので、よければお付き合いください!

 

ダメだった小学生時代

 僕は親の仕事の関係で2つの小学校に通いましたが、どちらの小学校にいた頃もアホであったということには変わりありません。1つ目の小学校時代は、多くの小学生がそうであるように学校が終わると友達の家に行ってゲームをするか、公園に行ってゲームをしたり体を動かしたりして遊ぶかの2択でした。勉強に関しては正直あまり記憶がないのですが、だいたい100点満点のテストで70~80点くらいが多かったと思います。特に自分が頭悪いと思うようなことはありませんでした。塾には入っておらず、ベネッセのチャレンジをやっておりました。毎回付録が楽しみで続けていた感じです。小学4年生からは親が「実践チャレンジ」(だったかな?オプションの教材で普通のチャレンジより難しいやつです)というやつを隔週でとるようになったのですが、この実践チャレンジ、僕は全くわかりませんでした(笑)というわけで、大体親が答えを隠している場所を発見して、正答率8割くらいになるように答えを写していましたが、たまに週末に親に呼び出されて解くように言われた時には全く解けず、それで親が僕に教えようとするのですがそれでも頭が悪くてわからず、4ページに2時間かかったりで親は堪忍袋の緒がついに切れてブチギレ、僕は泣きながら分からんと連呼していました(笑)それでもチャレンジをやめると言わなかった当時の僕が少し不思議ではありますが、一度初めてそれなりに続けたことはあまりやめない、というのが僕の特徴なのでそれが当時からすでに芽生えていたのかもしれません。

 

 そして時は流れ、2つ目の小学校に転校することに。転校前は、どんなところなんだろうと内心少しワクワクしていましたが、ど田舎で、とにかく1つ目の小学校とは180度異なるところで正直あまり馴染めず、放課後も1人でゲームをするか漫画を読んでいました。僕は、結構静かなキャラになっていたので、周りからは真面目キャラという風に見られていたこともあり、自分自身でも「俺は真面目キャラなんだ」と思うようになっていました。が、相変わらず勉強はしていませんでした。しかし、ここで転機が訪れます。1つ目の小学校時代の友達が中学受験をすると自慢してきたのです!今思い返せば、都会の人だったら中学から私立に行くことはあまり珍しくないので、彼もその普通の人の1人だったのですが、当時の僕はなんか負けた感じがして「じゃあ俺も」と言ってしまいました。それで小6から人生初の塾に通い始めたのですが3ヶ月で嫌になりました。まず、中学受験の内容は小学校の勉強をしているだけでは解けません。僕は算数が全くできなくて、つるかめ算や植木算といった特殊算は和差算を除き、全くわかりませんでした。塾の先生が「〇〇算は冷蔵庫の絵をかいて解くんだ」などと言っていたのですが、当時の僕は「算数の問題でなんで冷蔵庫の絵を描かなあかんねん。わけわからんわ」と思っていて、もはや意味わからないので学ぶ気力は失せ、塾の先生はわけのわからんことをいう人たちなんだと思って授業中はいつもウトウトしていました。毎回の模試も全くわからず、いつも模試が終わって親が迎えにきてくれると、車で「お疲れ様。模試どうだった?」と聞かれていたのですが、全くわからなかったので、なんだか申し訳なくなってただただ泣いていました。模試が終わるたびに泣いていたのに勉強せずにこっそりPSPをしていた自分、今思い返すとめちゃめちゃ面白いです(笑)僕は、模試が返ってくるたびに怒られるかな、とビクビクしていたのですが、結局模試の結果が悪いから怒られる、という経験は一度もしませんでした。親に感謝。

 とまあ、こんな調子だったので普通に中学受験は落ちました(笑)僕はもう勉強が嫌で嫌で仕方なかったので、もう落ちたいと思っていました。そんな受験していくような学校にいったら、また勉強がわからなくて嫌な思いをするだけだと思ったからです。結果が来る前は怒られるかだけが心配だったのですが、結局怒られることはありませんでした。しかし、親は悲しそうにしていて、失望している風にも少し見えたので、それは少し堪えました。そして、「全力で頑張ったんだから仕方ないよ」という言葉に心を撃ち抜かれました。そう、僕は全く全力で頑張ってなどおらず、PSPをこっそりして現実から逃げ続けていたからです。僕は、だいたい1日に3時間はこっそりPSPをやっていたのですが、親はその時間、僕が勉強していると思っていたようです。そこからでした。変わろう、と思ったのは。それから僕は、自分の中で、中学では天下を取る、と決めました。あれほど嫌だったのに、親に中学からも塾に行かせてほしい、と言いました。そして、春休みも小学校の復習を頑張りました。

 

飛躍の中学生時代

 このようにして、僕は中学に上がりました。地元の国立中学に落ちたので、公立中学に進学しました。入る前から、「俺は他の人とは違うんだ。なぜなら中学受験を経験したのだから!」などと調子に乗っておりました。落ちたのに。そんなこんなで始まった中学生活、まずは平日2時間、休日4時間は勉強するようになっていました。正負の数などは全く何が難しいのかわからないレベルで簡単だな、と思っていて(完全に調子に乗っている)、これは俺も勉強すれば分かるのでは、と思えたことが継続の要になりました。とにかく、自分の中で自分は頭悪い、勉強は難しい、と思っていたので分かるというのが新鮮でたまらなく最高でした。部活も運動部だったのですが、部内の1年生の中では一番上手かったので先輩と一緒に練習させてもらえ、とにかく楽しく、自主練を毎日するほどはまっていました。1年生の頃はこんな感じで常に学年で上位3パーセントほどの位置にいる感じでした。

 2年生になると、もはや自分は頭いいと思っていたので(調子に乗りすぎ)、1年生ほどの熱意を持って勉強をすることはできませんでしたが、それでも平日1時間30分、休日2時間は勉強していました。この時期は、部活もキャプテンになってとにかく遅くまで練習して、帰りは友達とさらに遅くまでだべっていたので、あまり勉強勉強という感じではありませんでした。

 3年生になると県内の中学生がほぼ全員受ける模試が始まったのですが、結構上位にいて、名前もそれなりに知れ渡り、いよいよ調子に乗っておりました。ついに俺の天下が来たな!(ドヤァ)、という感じでした。で、問題なく地元トップの高校に合格しました。

 

挫折の高校時代

 このようにして高校には合格したわけですが、この3年間は本当に大変でした。まず、中学の勉強内容と高校の勉強内容は量と質、どちらを取っても次元が異なります。僕は、中学内容の勉強に関しては頂点を極め、天下を取りました。しかし、高校内容は、なんというか、「努力してもできないんじゃないか、これ?」という感じでした。しかし、中学生時代に散々名前は売ってしまっていましたので、「優ってすごいんだよね!」みたいな感じで見られており、プライドと現実の狭間で悶々としていました。なかなか、周りの人に素直にわからない、ということができず、かといって苦戦している様子を見せることもプライドが邪魔してできなかったので、苦しかったです。そこで僕が取った結論は、家で勉強して学校では寝る、でした。(アホすぎる。。。)当時、賢い同級生は授業を舐めていて、寝るのがステータスという感じで、僕もあいつ寝てばっかなのに頭いいのめっちゃかっこいいと思っていました。(今はこんな考え方はしていません。成長しました。)というわけで、僕は夜中3時くらいまで起きていました。まあ、こんな生活では精神的にボロボロになっていくのは明白で、精神の不調は学力にも影響するため、一年生の間は本当にいつ壊れるかわからない、insecureでfragileな感じでした。成績も、だいたいにおいてそれなりに上位にいるかな、と言う感じでした。1年生の間は「俺は将来東大に行くんだ!」という思いはかろうじて持ち続けることができましたが、2年生になると諦念を学び、これ以上はもうもたないからと負けを認め、東大を目指すのも諦めました。

 そんなこんなで2年生も基本的には勉強ばかりでしたが、精神的な負担は減り、また、部活では後輩もできたので部活の方も結構頑張るようになりました。このように精神的な負担が外れたので、今一度自分と対話する余裕が生まれたので、自分にどうしたいのかと問いかけました。相変わらず、勉強はしっかりしていたので、東大もかすりそうな感じではありました。この頃は、トレーニングで常に限界まで追い込むことを意識しており、受験もそうであるべきではないのか、と考えておりましたので、今一度東大を目指すことにしました。

 まあそんなこんなで東大を志望校に据え、自分なりに3年生の間は1年間よく頑張ったと思います。それでもやはり田舎の1ルーキーには東大は難しいです。結局僕は、地元では名を馳せるルーキーにはなっていましたが、全国では全く無名で無力でした。東大模試は駿台河合主催のが夏秋に合計4つあるのですが、夏BC秋ADという判定結果で、秋の結果を見ていただければ分かると思うのですが、のるかそるかという感じでした。

 で、結論から言いますと、そりました(笑)覚悟はできていたので、自分の中では踏ん切りはついていたのですが、当時親が一緒に合格発表見たいといっていて一緒に見ていたので、「また失望させちゃったなぁ」と思って泣いていました。でも2時間泣いたらもうけろっとしていました。後悔は全くなかったので。これは本質情報なのですが、全力でやれば失敗しても清々しい気持ちでいられますよ。全力でやるって、難しいことだとは思います。僕も何事も全て全力ではできていません。全力でやれることって、好きなこととかこれだけは負けられないってことだけですからね。でも、もし東大に挑戦したいと思う人がいたら、やってみたらいいと思います。特に自分は頭悪いんだと思うような経験をしてきた人は。受験当日、駒場東大前駅に降り立ち、歴戦の猛者のような風貌をしたライバル受験生たちと肩を並べると、なんか泣けますよ。僕は脳内でワンピースのアニメ主題歌になっていたことのある「ウィーゴー!」の「俺たちはここまで来たぜ。俺たちは行く...」ってのが流れ続けていました。とにかくアドレナリンマックスで「ぜってぇ、負けねぇ...!」って感じでした。まあ、負けましたが(笑)とにかく、何かを全力でやり通す経験をしたいなら東大受験はアリだと思います。

 まあそんなこんなで一浪して東大に受かりました。浪人に関しては特に言うことはありません。現役の時、すでに数点差だったので浪人したら流石に受かるだろうなと思っていました。受かった時も実はそこまで感動はせず、落ちなくてよかったと言う感じでした。とにかく現役の時が強烈だったので、現役の時、駒場の入試会場に降り立った時が最も感動する瞬間でした。

あとがき

 書いていたらめっちゃ長くなってしましました!自分でも東大合格までの人生を振り返り、文章にしたいと思っていたのでついつい色々書いてしまいました。東大合格は自分が成し遂げた数少ない誇れることです。振り返ってみても大変だったなぁ、と言う感じです。この文章に何の価値があるのかはわかりませんが、読んでくれた方に何らかのインスピレーションを与えられたら嬉しいです。お付き合い、ありがとうございました!